昨日はIさんのお宅でお打合せでした。

 

 

将来を考え再度間取りプラン変更をして未決定ですが外壁変更

 Iさんご主人が外部に木の質感をというご要望に応え

チャネルオリジナルのウイルウォールを設置してプランさせて頂きました。

その後、料理上手な奥様の手料理を頂きながらお話をお聞きしお嬢さんとカルタ大会

ちょっと真剣なひと時も

Iさんご夫妻は本当に素晴らしいご夫妻で

「将来こうなりたいな!!」という具体的な目標まで頂きました。

そして今日、会計事務所の担当のYさんからメールで頂いた文章がありこの文章を読ませて頂いた時

僕はIさんご夫妻を思い、今まで施工させて頂いた皆さんが頭の中で思い出されました。

(このまま載せて良いのかどうか解りませんが思わず載せてしまいます)

 

        ほんとに良いです! ぜひ読んで頂きたい。

 

本文

「家」、「ホーム」。東洋も西洋も大変心響く言葉である。「家に帰ろう」の

一言は弱った人々の心をどれほど救い、冷えた魂をどれほど暖めてくれるだろ

うか。

 

「家」は建物ではない。「家」は家具と内装ではない。「家」は戸籍の構成で

はない。「家」は家族同士の愛であり、心の絆である。だから住むところは狭

いところでもいい、借家でもいい、頻繁に変わってもいい。太陽が沈み闇が支

配する頃、愛し合う家族が集まる。その場所は「家」となるのである。

 

「家」を実感するのは妻の「お帰りなさい」であり、夫の「ただいま」であり、

子供の「今日は・・・」の報告である。いつもの人と一緒に風呂に入る、いつ

もの料理を口にする、いつもの人とキスする。「家」はその瞬間に心に入り込

んでくる。「家」は心にある。

 

マイホームのためにローンの返済に励む。一軒家のために会社に必死にしがみ

づく。家から離れないために2時間もかけて通勤通学する。心が納得すればそ

れぞれの選択が正しいだろう。しかし、もしそれによって心が疲れきっている

ならば、心の「家」を探してほしい。

 

子供が大きくなると何を覚えるだろうか。「家」の広さではない。「家」の豪

華さではない、「家」の所有者ではない。子供たちが覚えているのは「家」で

何を食べ、何を教えてもらい、何を体験したかだろう。

 

「家」が作られるが、やがて消える。子供たちが自分の「家」を持ち、元の

「家」にたまに戻る。愛する人が天国に行き、「家」にはとうとう最後の一人

が残る。往時の絆と愛を思いながら天国での新しい「家」を夢見る。「家」は

心にある。

 

 この文章を読んだ時真摯に

 これからも僕は家族を守るために強固な構造を持ち安全で

 家を遊び場としていた子供が時が経ち親になり家庭を持った彼らが

 その家に集まったとき思い出を笑いあえる家を造り続けよう

 と自分の目標が再確認出来ました。

 

 

 

 

 

 

 

 


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